札差とは蔵米取の 〔金融・歴史・生活〕
旗本・御家人に支給される俸禄の米を、代理人として受け取り、米屋に売却して現金化することを請け負った江戸浅草の町人。
蔵米を担保に高利貸をして財をなし、代表的な富裕商人となった。
1724年109軒を限る株仲間を認められ、幕府家臣団に対する蔵米の受け払いと、高利金融業を独占した。
手数料は蔵米100俵について、受領から売却まで金3分で、1000俵扱っても7両2分にしかならなかったが、貸付金の利子は年18%、1789年には12%、幕末にはさらに下げられたものの、さまざまな不正手段をも交えて、貧窮化した旗本・御家人の財政に吸着し、急速に大富豪となった。
田沼時代の営業権は千両株といわれ、大坂で大名貸を行った掛屋にも比較されている。
その富を基礎にして、市川団十郎ら歌舞伎役者や、俳人小林一茶らへ経済的援助をする者もおり、十八大通を生み出すなど当時の文芸・風俗など江戸町人文化に果たした役割は大きかった。
しかし札差の利殖は幕府家臣団の経済的弱体化に通じ、1789年には棄捐令が発せられ、天保の改革の際にも札差の高利貸資本に対する厳しい干渉がなされたが、江戸の大町人たる地位は動かなかった。
明治維新で蔵米支給制度が廃止されると、札差も急速に没落し、近代的資本に転化した者はほとんどいない。
なお甲府にも甲州勤番士を相手に金融業を営んだ札差が常時10人前後いたが、江戸より営業規模は小さかった。
蔵米を担保に高利貸をして財をなし、代表的な富裕商人となった。
1724年109軒を限る株仲間を認められ、幕府家臣団に対する蔵米の受け払いと、高利金融業を独占した。
手数料は蔵米100俵について、受領から売却まで金3分で、1000俵扱っても7両2分にしかならなかったが、貸付金の利子は年18%、1789年には12%、幕末にはさらに下げられたものの、さまざまな不正手段をも交えて、貧窮化した旗本・御家人の財政に吸着し、急速に大富豪となった。
田沼時代の営業権は千両株といわれ、大坂で大名貸を行った掛屋にも比較されている。
その富を基礎にして、市川団十郎ら歌舞伎役者や、俳人小林一茶らへ経済的援助をする者もおり、十八大通を生み出すなど当時の文芸・風俗など江戸町人文化に果たした役割は大きかった。
しかし札差の利殖は幕府家臣団の経済的弱体化に通じ、1789年には棄捐令が発せられ、天保の改革の際にも札差の高利貸資本に対する厳しい干渉がなされたが、江戸の大町人たる地位は動かなかった。
明治維新で蔵米支給制度が廃止されると、札差も急速に没落し、近代的資本に転化した者はほとんどいない。
なお甲府にも甲州勤番士を相手に金融業を営んだ札差が常時10人前後いたが、江戸より営業規模は小さかった。
update:2010年02月23日
