世界平和評議会は <世界・平和・マスコミ>

もっとも影響力をもったのは、世界平和評議会の運動であった。

49年4月にパリとプラハであわせて72か国約2000名が参加して世界平和擁護大会が開催され、原子兵器の禁止、軍事ブロック反対、植民地体制反対、日本・ドイツの再軍備反対などが決議され、平和擁護世界大会委員会が常置された。

これが、のち、50年に改組されて世界平和評議会となる。

この運動は、1950年3月、原子兵器に反対し、それを最初に使用した政府を人類に対する犯罪人とみなすという、いわゆる「ストックホルム・アピール」署名運動を呼びかけ、全世界で5億余の署名を集めた。

この運動をはじめ、その後の「ベルリン・アピール」署名などの運動を通じて、世界平和評議会の運動は各国に平和委員会を組織し、活発な活動を展開した。

52年のウィーン、55年のヘルシンキなど、大規模な平和集会もたびたび開催された。

この運動は、思想・信条の違いを超えるものとして呼びかけられたが、社会主義諸国政府、とくにソ連は、この運動を強く支援し、事実上はソ連の外交政策への補完的役割も果たした。

また各国内では、共産党系活動家が中心となって動いたことから、西側諸国政府は、これをソ連の「平和攻勢」として退け、国内の運動への弾圧を図った。

したがって、ハンガリー事件や、いわゆる中ソ対立の激化など、社会主義諸国内部の矛盾・対立が表面化すると、運動内部でも対立が激化して、しだいに有効性を失い、影響力は低下するに至った。
update:2010年02月23日